アカによる「作為的流言」情報テロによる更なる混乱

この震災時に「朝鮮人が暴動を起こした!」「朝鮮人が大挙して襲ってくるぞ。」などと盛んに喧伝する者があった。
これは誰なのか?

実はこれがアカなのである。(ただし全てではない。だが状況的にはアカによる情報テロがあったことは多くの資料より確実なことである)

アカは不逞鮮人を使嗾して暴動テロを起こさせると同時にそのテロを容易にさせる為にデマ(偽情報)を使って更なる混乱を作り出し、テロに対抗すべく緊急に行動しなければならない日本側の活動を妨害しようとしたのである。

デマ・流言は大きく二つに分けられる。一つは意図的になされる「作為的流言」。もう一つは自然発生的になされる「無自覚的流言」である。

デマ・流言の正体は何なのか?その流言は作為的なものなのか、それとも無自覚になされたものなのか?(両者を明確に区別することは出来ないが説明の便宜上区別して記述すると次のような特徴がある) 
参考 ※「デマ・流言の正体」内務省昭和12年 



①「作為的流言」→何らかの意図をもって計画的に散布されるデマ。政治的な目的があり一般の自然発生的な稚拙なデマとは異なる。かなりのインテリによって共同創作され、仮にその言説が事実としても個人の力では確認不可能的な内容であることが多い。第一次世界大戦では欧州で盛んに行われた。
人心に不安を起こさせたり、国家機関に不必要な警戒をなさしめ、時には軍などの作戦の計画を誤らせる。後方活動の撹乱を目的とする。

デマの散布される場所としては新聞社の新聞掲示板の前などのマスコミ機関。その他大衆の集まるところでも作為的流言者(情報テロリスト)によってなされる。噂が噂を呼び流言が流言を呼ぶ状態を演出し、民衆の間に「無自覚的流言」を発生させつつ同時にそれを逆用して二次的三次的な更なる作為的流言を散布する。


②「無自覚的流言」→ 一般大衆の中から無自覚的になされる流言。ある特定の事態を見たり聞いたりすると自分の経験や思想・知識などの想像を付け足したりして人に伝えてしまうもの。悪気はないが噂話が伝播されていく中でどんどん話が雪ダルマ式に大きくなっていく。
噂が噂を呼び、流言が流言を呼ぶ。
こうした無自覚的流言は作為的流言者(情報テロリスト)によって利用されてしまう。その結果更なる混乱の原因となり味方の後方活動を停滞させてしまう。
知らず知らずの内に敵に乗ずべき隙を与えている。



関東大震災時にはアカによる情報テロがあったことは多くの史料からも確実なことである。

その一つが同志討ちを促す情報テロ。

史料には赤化系日本人(社会主義者・アカ)が官憲と自警団を同志討ちさせようして盛んにデマを飛ばして誘導していたという記録がある。



同志討ちと言えば自警団による一般朝鮮人への暴行・殺傷もある意味では「日本人同志」の同志討ちであった。(当時の朝鮮人は日本人であった。)

実際には存在しないあらぬ方向からあたかも大量の不逞鮮人が来襲するかのようなデマを散布して不必要な警戒や出動など更なる混乱を生み出し「本物の不逞鮮人」のテロ活動を容易にさせる。

また朝鮮人への憎悪を促すような言説を放ち、あたかも全ての朝鮮人は暴虐者であるかのように一般日本人(内地人)を煽動して自警団等に一般朝鮮人を襲わせる。

こうした作為的な言説を放っていた者がアカなのである。

この事件では無辜の一般朝鮮人が自警団などに殺害された例もあるわけだがその実行者は自警団でもその「主犯格の者」は誰になるのだろうか。
アカは一般朝鮮人に間接的方法で危害を加えた「主犯格の者」と言えよう。

この事件では不逞鮮人に間違われて誤って殺された日本人が57名いた。この中にはこのようにアカの情報テロに誘導されて誤殺された者も含まれている可能性がある。

また朝鮮人と間違えられたというよりアカと間違えられた日本人や、あるいはまたアカがアカテロリストと認められて殺害された場合のモノも「朝鮮人と間違えられて殺された日本人」としてカウントされている可能性もある。

また事件当時不逞鮮人に拉致されていた日本人がいたという記録もある。
テロリスト達は人質の命と引き換えに何らかの要求をしていたことも考えられるが、官憲等はこれを無視して武力行使し人質を見殺しにした事例もありえたわけである。無論これは止むを得ない「見殺し」ではある。
だがそうしたものも「朝鮮人に間違えられて殺された日本人」の中に入っているのかもしれない。

ともあれ。。。。

日本当局が流言飛語を禁止したのはテロリストが意図的に流していた「目的のある流言飛語」を取り締まる目的が第一にあったものと思われる。

日本当局が「鮮人襲来は流説」と注意を促したのは、(テロとは無関係の)一般朝鮮人への錯誤的暴力を戒め、事態の鎮静化を図るためのものであったと思われる。


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アカの暗躍 共産革命の実行

ロシアにいる朝鮮人共産党員宗慶順から聞いたという日本人共産主義者についての証言に注目すべき個所がある。

赤露二年の獄中生活 久保田栄吉




この事件については、ロシアに証言が残っている可能性も。。今後の研究が待たれるところ。。。

田口運蔵とはロシア系ユダヤ人である労農ロシア駐日大使ヨッフェの通訳をしていた共産主義者ロシア大使館はその治外法権の地位を利用して日本の共産勢力を多岐にわたり支援して度々問題視されている。

この事件の本質は

①不逞鮮人+②赤化日本人+③露系共産勢力・コミンテルン

この三者の共同正犯と考えて間違いないだろう。



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1923年(大正12年)9月7日の地方紙下野新聞の記事 

【今回の不逞鮮人の行動 社会主義者とロシヤ過激派の三角関係
 を根幹に行はる 怪しと睨んだ裏面の事實】


 今回の不逞鮮人の行動其他に就いて第十四師団参謀長
長井●大佐は左の如く発表した
『今度の不逞鮮人の不逞行為に就いては當初よりその背後に何等か
の勢力があって之が絲を操って居るのであらうと考察して居たが
果たして日を逐うに従うて若干の事實が発見されて来た
即ち今回の不逞鮮人の不逞行為の裏には社會主義者やロシヤの過激派
が大なる関係を有する様である 社會主義者の計畫は支那人並に鮮人
を扇動して不逞の●●並びに不徳なる行動を為さしめ治安を乱し
官憲が大災厄に遭遇してこに奔命して居るを幸ひとして官憲の無力
を宣傳せしめ官憲の不信を流説し官憲と民人との間に対抗的勢力
をつくらんことを策する 一方鮮人を扇動して不逞行為を為さしめ
内乱暴動を全国に波及せしめて以って一挙に彼等の希望する極端
なる民主政治を実現せんとたくらんだのである 而して右の計畫
に就いてはある時期に於いてこれを実行するの考へがあったもの
であるがそれが今度の大災厄を幸ひとして急速になされた模様
である 又鮮人の計畫は秩序あり系統あり組織的のものでその
準備も●完全に近きものがあった様である これに就いては
これを證明すべき幾多の事實が既に発見され某●●方面に於いて
確信を得たものである 彼等の財源は言ふまでもなく上海にその
根源を有するがロシヤてある模様の過激派からとりいれでロシヤ
の過激派と不逞鮮人との間には余程密接なる連絡がある様だ

神戸附近にロシヤ過激派の購買組合があるが彼等がここを本拠
として上海との連絡をとっている事實がありヨツフエ氏滞在
中に於いてもロシヤの過激派と社會主義者と不逞鮮人との間に
ある連絡があった様に思ふ要するに今回不逞行為はこの三者
三角関係を根幹として行はれたものでこれは疑ひなき所である
斯様にして右の事實が漸次判明したので東京附近では一般民衆
の社會主義者に対する激昂の情がたかまり同時に主義者に近き
者若しくは●妄なる新思想家に対する民衆の反感が漸次昂まり
つつある模様で當師団より派遣したる某大尉はこの状況を
見聞して帰って来た
次に田端附近の近況に就いてであるが何分にも多数の救援隊が
ドシドシ災害現場へ乗り込み頻頻として汽車で往復している
ので大混雑を来し却て罹災民を輸送し得ざる状態にあるから
これ等は余程縣民に於いて考慮して欲しい 尚第十四師団
の出動迅速なりしため警備のために非常なる効果を●して居る
●食輸送も亦極めて有効に輸送せられ深川本所方面へ運搬
され東京の両師団よりも早くこれら被害激甚なる方面への
罹災民の食糧を給した事になって居る 要するに當師団の
迅速なる出動が必要なる時機に於いて必要なる勢力を災害地
に●した事は欣幸とする處である』云々

日露戦争以降も、尼港事件など、日本とロシヤ(ロシア)
の紛争は続いていたようです。この第十四師団(宇都宮)も
シベリア出兵の直後に関東大震災があったという歴史の流れ…

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ところでこの事件における主犯格の者は誰になるのだろうか?


不逞鮮人は実行犯的要素が強いが間違いなく主犯格的性格は弱いと考える。
やはり日本内地で起こったこの事件の主犯格は「赤化日本人テロリスト」である。

内地に留学してきた朝鮮人のインテリ学生にアカ思想を吹き込み抗日運動をさせていたのは他ならぬアカ系の大学教授などの日本人なのである。

赤化日本人(アカ)が朝鮮人を道具として使い反日運動をやらせて自らの政治的目的を達成するという構図は実は戦前から全く変わっていない。

こうした赤化日本人のテロによって多数の一般人(一般日本人+一般朝鮮人)が殺害されたと言える。
テロリスト達にとっては一般人の生命財産安寧などは全くどうでもよいことなのだ。

間違いなくこの事件における主犯格の者は赤化日本人である。
しかし赤化日本人と雖も人種的には日本人。当時の言葉で言うと「主義者と雖も同胞」である。

アカもまた日本人だが、この日本人である事だけを切り取ってみると「一般の無辜の朝鮮人は日本人によって虐殺された」と言えなくもない。

本当は一番糾弾されるべき者はアカ系左翼勢力のはずである。
※犯罪者として糾弾されるべきは正確にはアカの一部の者

しかし彼らがあたかも被害者の様な顔をして日本の官憲や自警団の行動ばかりを糾弾するのは全く盗人猛々しいオゾマシイ光景と言わねばならない。
もちろん日本の官憲や自警団に間違いが無かったとは言わない。
しかし本当は日本のアカ系左翼こそが自らの罪業を自覚自恥し反省して再発防止に努めなければならない。

本来ならば彼らこそが戦前におけるアカ系左翼のテロ・犯罪行為を真摯に認めて広く国民に明らかにして総括すべきなのだ。(無論それがないから戦後体制なのだが…)

また在日組織も不逞鮮人のテロ行為の存在を認め日本側に謝罪するべきであるし、また日本のアカ左翼を「良心的日本人」などと持ち上げて甘えるのではなくむしろ厳しく糾弾するべきである。


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(参考)この震災時暴動事件(大正12年9月)の3か月前に共産主義者の一斉検挙があった。
第一次共産党事件





このアカの取締を正力松太郎(当時警視庁官房主事38歳)が指揮している。
関東大震災不逞鮮人暴動事件でも正力が一般朝鮮人を虐殺するように煽動したという正力松太郎悪玉説があるが、これはこうしたアカの恨みを買っていたことも関係しているのかもしれない。

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第一次共産党事件とは

1921(大正10)年1月から2月にかけて開かれたコミンテルン主催の極東民族大会に、当時アメリカにいた片山潜や日本から出席した徳田球一や高瀬清(1901〔明治34〕〜1973〔昭和48〕岐阜県出身の大正から昭和にかけての社会運動家日本共産党の創立に参加、コミンテルン第4回大会に出席。第1次共産党事件で検挙投獄され、出所後、共産党を離れ、「無産社」を経営し出版活動に従事した。戦後は日本社会党から衆議院議員選挙に数回立候補した)らが参加したが、彼らにコミンテルンは日本における共産党の結成を促した。

帰国した徳田らは、日本で精力的にマルクス・レーニン主義の普及に努めていた堺利彦(当時53歳)、山川 均(当時43歳)、近藤栄蔵(当時40歳。1883〜1965。東京生まれの大正から昭和時代にかけての社会運動家アメリカで片山潜を知りコミンテルン極東委員会日本代表になる。日本共産党創立に参加、1923年ソ連に亡命、帰国後の1931〔昭和6〕年国家社会主義への転向を表明した)らにそれを伝えた。

同年4月堺らは、日本共産党準備委員会を結成して組織化を図り、翌1922(大正11)年7月15日東京・渋谷の伊達(だて)町で間借りしていた一民家で、日本共産党の創立大会が開かれ、委員長に堺が就任、同年末に開かれたコミンテルン(1919〔大正8〕年レーニンらの指導の下、ソビエト共産党を中心としてモスクワに創設された国際共産主義運動の指導組織。1943〔昭和18〕年に解散。第3インターナショナル。国際共産党共産主義インターナショナルとも)第4回大会で「コミンテルン日本支部日本共産党」として正式に承認された。

1923(大正12)年5月、早稲田大学講師の佐野学(32歳。まなぶ=1892〜1953。大分県生まれの大正から昭和にかけての社会運動家。1921〔大正10〕年7月雑誌『解放』に執筆した「特殊部落民解放論」は大きな反響をよび全国水平社創立の契機となった。1927〔昭和2〕年日本共産党委員長になるが4.16事件で検挙され、1933〔昭和7〕年6月鍋山貞親なべやまさだちか。1901〜1979。大阪生まれの大正から昭和にかけての社会運動家共産党創設に参加。

1925[大正15]年中央委員となる。戦後、世界民主研究所を設立。代表的著作に『私は共産党をすてた』がある〕と連名で転向〔戦前日本において、社会主義者共産主義者たちが、反共側の努力よってその思想・信条を放棄した行為をいう〕を声明、大量転向のきっかけを作った。戦後、早大教授になる。代表的著作に『唯物史観批判』がある)の管理していた共産党関連の秘密書類を入手した日本政府(警察当局)は、6月5日未明、同じ早稲田の講師の猪俣津南夫(いのまたつなお。35歳)の両研究室に捜査に乗りだし、同時に堺、山川ら共産党関係者約80名を一斉検挙したのである(佐野や高津と近藤はソ連に亡命したため逮捕を免れた)。いわゆる「暁の手入れ」ある。

その1月の5月10日、早稲田大学白川義則(しらかわおしのり=1968〜1932。愛媛県生まれの陸軍大将。1927〔昭和2〕年に陸相。1932〔昭和7〕年の上海事変に派遣軍司令官として赴任中、同年5月26日上海で開かれた天長節祝賀会場での爆弾テロで死亡。享年65歳)陸軍次官を迎えて軍事研究団の発会式を行おうとしたしたため、これに反対する教授・学生と学内で衝突が起きた。反対運動の赤化学生を背後で操って先頭に立った佐野は当局の捜索があるものと判断して研究室に保管していた共産党関係の書類を知人に預けたが、それが警察のスパイであったのである。

この検挙により、初めて共産党の存在が世間に知られ、政府はこれを「第2の大逆事件」とし、結局29名が起訴され、治安警察法違反で公判に付され、1925(大正14)年8月20日に第1審判決が行われた。翌年4月28日に第2審判決が、また同年8月4日大審院が被告人らの上告を棄却して山川と田代常二を除く全員の有罪が確定した。

この事件は、創立されたばかりの日本共産党に対する最初の検挙事件。

いうまでもなく創立されたばかりの共産党は大打撃を受けたが、それは共産勢力のスパイ及び赤化政策が明らかになったことを意味し、以後国内外の共産勢力のスパイ活動やテロ・赤化に対する危機感の重要性が認識された。

翌1924(大正13)年3月、共産党は解党を決議。以後一時的に共産勢力の活動は下火になる。。

自警団とは「復讐団」

参考動画


自警団と一言に言うけれどその性格は地域や状況によってそれぞれであって、家族を殺傷されたり町や家を焼かれたりといった実際に不逞鮮人テロリストの暴虐の被害にあった被害者らによって組織された自警団と、
鮮人襲来の伝聞情報によって防犯自衛のために警戒していた自警団とはその性格は全く異なる。

実際のテロの被害に遭遇した自警団の方は自警団と言うより「復讐団」と言うべきであって、不逞鮮人への憎悪激昂甚だしく復讐心も相当なものだったようである。

また不逞鮮人のテロは日本人を挑発し憎悪を故意に煽ることも目的の一つだったように思われる。

即ちわざと残忍卑怯な方法で日本人を殺し、死体を凌辱しあるいは女性を輪姦し鼻を削ぐなどの残虐行為を行い、それを見せびらかすことでテロリスト達は「朝鮮人への憎悪」を意図的に作ろうとしていた節がある。


本来テロや挑発とはそういうものかもしれないが、
不逞鮮人テロリストは「故意に憎悪を作ろうとするテロ」を実行していた。。。。
というところもポイントだと思う。



実際のテロの被害にあった人達によって組織された復讐的攻撃を目的とする「自警団A」と、テロの被害を受けたわけではない伝聞情報による警戒と防衛の為の「自警団B」とは区別しなけばならない。

自警団Aの方は実際の被害により不逞鮮人へ復讐する権利を有するものと見なすことが出来るので「復讐団」と呼ぶことが出来るだろう。
ただし状況によっては「復讐団」と見なすべきか「自警団B」と見なすべきかその中間ぐらいに位置する自警団もいたことも考えられるのではっきりと区別することは難しい。(ここでは方法的に両者を区別してみる)


問題はこの復讐する正当性を持つ「復讐団」が不逞鮮人テロリストに復讐するのではなく、一般の(つまりテロとは無関係の)順良朝鮮人に復讐してしまったケースが多々あったということである。

これはテロとは関係のない一般朝鮮人にとっては極めて迷惑な話。
何のことか解らないままいきなり「復讐団」に襲われて殺害されてしまった一般の朝鮮人がいた場合もあるようである。

またテロを行った後の不逞鮮人の逃亡方法に一般の朝鮮人に「なりすます」という方法があり、
危うくなった場合はその「なりすまし」の方法を使って素知らぬ顔で市井の一般朝鮮人のふりをして、あるいは言われなき差別で虐待を受けている弱者・被害者朝鮮人のふりをして現場から逃亡しようとしていたことも考えられる。


復讐団にとっては、不逞鮮人テロリストと一般朝鮮人を区別する状況的余裕は無かった。

あるいは朝鮮人と日本人(内地人)を区別することも出来ず、その犠牲になった日本人もいたわけである。

「戦は目なし」と言うけれど戦争が始まってしまうと、何が味方で何が敵かの区別は混乱状況の中では相当難しい。

またこうした混乱が混乱を呼ぶ状況を意図的に作ることもテロの目的だったことが考えられる。

復讐団にとっては「(不逞)朝鮮人は無差別に日本人を攻撃して暴虐をしているのだから、同様にこちらも朝鮮人という理由だけで無差別に復讐してもかまわないだろう。」という感覚があったものと思われる。(またそういう記録もある)

つまり、言わば「朝鮮人」という「民族」に復讐することが目的となってしまったわけである。

実はこうなることもまたテロリスト達(不逞鮮人+赤化日本人系)の策動の術中にまんまと乗せられた状態という側面もあるように思われる。


本当は政治的な理由に端を発するもののはずなのに、それについ乗せられて民族を攻撃してしまう、という民族への攻撃パターンは現在でも多々見られる通りである。



この種の不幸はこの事件のみならず政治的な理由で例えば朝鮮人という人種が攻撃されてしまうという現在でもありがちな一般の朝鮮人の不幸を象徴していると言えるかも知れない。

そしてその不幸を再度政治的に利用して差別問題を永久循環させて自らの政治的目的を達成しようとする不逞鮮人系政治勢力やアカ系日本人がいるというのも現在でも変わらない構図ではないだろうか。


政治的な理由で「民族」までを攻撃してはならないはずだが。。。


ともあれこの事件では。。。。

不逞鮮人テロリストは日本人という「民族」を無差別に攻撃したと捉えることが出来る。
だから相互主義的感覚で復讐団は朝鮮人と言う「民族」に復讐したというわけである。

参考


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